余命宣告されてから「その時」の準備を内々に進めていて
まず自分達が利用の便がいい葬儀会館を調べ
そこから当該の葬儀会社に行き当たる
(よくある事なんだろうけど、そこに行き当たる
までに面倒な勧誘や対応不信や条件が合わないetc
色々あったのは言わずもがな)
8/5の夕方に永眠し、おと主がお盆休みを前倒しして
休みを取ってくれたので22時頃京都に向けて出発🚗-3
2週間程留守になる準備が何も出来てなかったので
出発までちょっと時間がかかってしまった
その間、妹っちは葬儀社に連絡を取り施設の方で
軽く身を整えてもらった母を葬儀会館へ運ぶ手続きを
してくれた 京都(母宅)に着いたのは翌午前2時過ぎ
8/6の15時~会館で打合せ 9日ぶりに母と対面
自分と妹の仕事の都合を鑑みて葬儀は8/9に決定
余命宣告されてから自分の知る限りの母のご友人達に
其々連絡を取ったんだけど、みなさん夏の京都は
ハードルが高くて面会や葬儀も気持ちはあるんだけど
行けないって人が殆どだったので、自分達夫婦と
妹家族の5人でサラッと見送るつもりでいたのが
自分っちの従兄弟(母の甥姪)達が最後のお別れに
行きたいと言ってくれたので、ありがたく
そっちの方向に舵を切る
葬儀に関連する諸々の決断は早く、大体は姉妹で
意思が一致 というか、どんなお見送りをしたいか
って部分がハッキリしてたから、常識とか世間体
度外視でUGする所とDGする所を明確に出来た
多分、母の葬儀だからこそ出来た事
若い頃から着物がすきだった母
旧姓の剣片喰の紋が入った色留袖(確か母が自分で色を
決めて染めてもらったかと)を最後の召し物に選んだ凛として旅立てますように
色んな事があった 自分自身が親の老いを受け入れる
のに時間がかかったし、何より母自身がそれを
受け入れるのに苦しんだと思う 苛々して暴言を
吐いたり吐かれたり 傷付けた事に嫌悪して泣いて
妹夫婦やおと主にあたったり
(↑文字にすると改めてクズな自分^ー^A)
2018年に自分は京都を離れ、2020年に前施設に入所
コロナ禍とかもあって一気に進行の度合が増して
感情を抑える薬で廃人みたくなった時期もあって
2023年に本気でこっちの施設で自分が面倒みる
つもりで動いたけど、結局それは叶わず
その時々でやれることはやってきたし、後悔も
ほぼない 10年以上前の美人で聡明な母の面影は一切なく
その印象もどんどん薄れる中で、常々母が旅立っても
泣かないだろうなって思ってて もう悲しいとか
寂しいとかそうゆう感情はないかなとかおと主にも
言ってたし、現に妹から「その連絡」が来た時も
泣かなかったのに、遺体の母と対面した時
涙が出てきて そんな自分にビックリした