St.Fuji@ちるあき

*°˖✧我が家の富士山&赤柴〖竜胆〗✧˖°*

心覚え°˖✧葬儀の準備✧˖°

余命宣告されてから「その時」の準備を内々に進めていて

まず自分達が利用の便がいい葬儀会館を調べ

そこから当該の葬儀会社に行き当たる

(よくある事なんだろうけど、そこに行き当たる

までに面倒な勧誘や対応不信や条件が合わないetc

色々あったのは言わずもがな)

 

8/5の夕方に永眠し、おと主がお盆休みを前倒しして

休みを取ってくれたので22時頃京都に向けて出発🚗-3

2週間程留守になる準備が何も出来てなかったので

出発までちょっと時間がかかってしまった

その間、妹っちは葬儀社に連絡を取り施設の方で

軽く身を整えてもらった母を葬儀会館へ運ぶ手続きを

してくれた 京都(母宅)に着いたのは翌午前2時過ぎ

 

8/6の15時~会館で打合せ 9日ぶりに母と対面

自分と妹の仕事の都合を鑑みて葬儀は8/9に決定

 

余命宣告されてから自分の知る限りの母のご友人達に

其々連絡を取ったんだけど、みなさん夏の京都は

ハードルが高くて面会や葬儀も気持ちはあるんだけど

行けないって人が殆どだったので、自分達夫婦と

妹家族の5人でサラッと見送るつもりでいたのが

自分っちの従兄弟(母の甥姪)達が最後のお別れに

行きたいと言ってくれたので、ありがたく

そっちの方向に舵を切る

 

葬儀に関連する諸々の決断は早く、大体は姉妹で

意思が一致 というか、どんなお見送りをしたいか

って部分がハッキリしてたから、常識とか世間体

度外視でUGする所とDGする所を明確に出来た

多分、母の葬儀だからこそ出来た事

 

若い頃から着物がすきだった母

旧姓の剣片喰の紋が入った色留袖(確か母が自分で色を

決めて染めてもらったかと)を最後の召し物に選んだ凛として旅立てますように

 

2015年以降、アルツハイマー認知症の診断が出て

色んな事があった 自分自身が親の老いを受け入れる

のに時間がかかったし、何より母自身がそれを

受け入れるのに苦しんだと思う 苛々して暴言を

吐いたり吐かれたり 傷付けた事に嫌悪して泣いて

妹夫婦やおと主にあたったり

(↑文字にすると改めてクズな自分^ー^A)

2018年に自分は京都を離れ、2020年に前施設に入所

コロナ禍とかもあって一気に進行の度合が増して

感情を抑える薬で廃人みたくなった時期もあって

2023年に本気でこっちの施設で自分が面倒みる

つもりで動いたけど、結局それは叶わず

 

その時々でやれることはやってきたし、後悔も

ほぼない 10年以上前の美人で聡明な母の面影は一切なく

その印象もどんどん薄れる中で、常々母が旅立っても

泣かないだろうなって思ってて もう悲しいとか

寂しいとかそうゆう感情はないかなとかおと主にも

言ってたし、現に妹から「その連絡」が来た時も

泣かなかったのに、遺体の母と対面した時

涙が出てきて そんな自分にビックリした


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